ロケ地を誘致し、HAZANの撮影を通して「芸術文化によるまちづくり」を
試みようと立ち上がったのは友部町。   東京田端の波山邸を友部町に復活させるべく、町長自らロケハンに走る。
波山邸へと続くなだらかな坂道を探す。合言葉は「だらだら坂を探せ!」   しかし何ケ所もあげた候補地は今一つ魅力がなかった。町の隅々まで巡り歩いて
ほとほと疲れた夕暮れ間近、町長が最後に案内したのが、今どき茨城でも珍しい棚田と 細い道がゆるやかなカーブを描いてなだらかに広がっている集落。   後日、美術監督も交えてこの地を見学、ここに波山邸を作ろう、と決定。
かくして友部町に明治の田端が再現されたのだ。


茨城でロケをする映画に、地元の皆さんに是非ご協力をいただきたい、
ということで、平成15年3月1日・2日、友部町中央公民館において出演者、
     スタッフのオーディションが行われた。わずか3週間の応募期間にもかかわらず
なんと300名を超える応募があった。製作委員会事務局の電話は毎日朝から
夜更けまで鳴りっぱなし、担当者は席をはずす余裕さえなかったとか。 オーディション当日。エキストラ希望者1人1人に対して熱心に質問する監督。
その様子が伝わった控え室は、予定の時間をずれ込んでいることもあって
かなりピリピリした空気がただよっていた。 それを緩和したのが、応援に駆けつけてくれた下館の女性陣からの差し入れ。
板谷波山の壷を形どった下館銘菓「壷最中」に、面接を待つ皆さんもほっと一息。
かくして無事にオーディションは終了したのだった。

ロケ地の友部町上市原で役者さんの控え室となったのは、地区の小さな公民館。 部屋はたった一つ、間仕切りもない。そこで榎木さん、南さん、そして子役たちが
実の親子のように楽しい時間を過ごしていた。純粋な子供達の姿を見る度に
自然な演技の素晴らしさを教えられた、と榎木さんは語る。 子どもたちも、榎木さんをおとうさん、南さんをおかあさんと慕い、実の親子のように
あるいはそれ以上に素敵な家族として1ヶ月を過ごした。 ロケの最終日には、家族との別れが悲しくて、菊男君はずっと泣きっぱなし。 知り合うまでは全くの他人であった人々が、映画を通してあたたかい家族になりえたのだ。
今ではなかなか見られなくなった、日本人の古き良き家族のあり方がそこにはあった。

3月21日、深夜に台風のシーンの撮影。散水車が波山邸のオープンセットに横付けされ
大量の雨を降らす準備をする。3月とはいえ、上市原の夜は寒い。水を出して10分も
しないうちにつららができてしまうような状態だ。スタッフは皆カッパに長靴、
覚悟はできている。 さて、それまで淡々とリハーサルをこなしていた南さんは、「ハイ本番!」の
かけ声とともに突然バケツ一杯の水を頭から勢いよくかぶり、スタッフたちの
つくり出した暴風雨の中に突撃していった。その鬼気迫る演技に、一同は寒さも忘れ唖然。 今回は、「静」の波山に「動」のまるが対照的に、しかも美しく描かれている。
こういった俳優精神がこの映画にいきいきとした生命感を与えているのは間違いない。

下館市羽黒神社での祭りの撮影は盛り上がった。 毎年夏にしか見られない、伝統ある神輿を今回の撮影の為に特別に出していただける
ことになった。1トンはある神輿を担ぐのは下館の「伊達組」の皆さん。
その他羽黒神社の氏子総代の皆様。
祭りの見物客として朝5時から集合したエキストラさんは、素足に下駄、夏の浴衣という
格好で寒さに震えながら、本番を待った。 伊達組の皆さんが身に纏うのは明治時代当時のデザインのはっぴ。このはっぴは、
下館で公募されたボランティアの皆様が、何と1日で80着を縫い上げた苦労の賜物だ。 本番、伊達組さんの威勢の良いかけ声が、お囃子にのって羽黒神社にこだました。
総勢200名の一大ロケとなったこのシーンには下館の皆さんの熱い心持ちが現れている。

いよいよ茨城での撮影もクライマックス。 桜の下で、波山が生活のために作った焼き物「飛鳥山焼」を、まると子供達が売る。 でも花見客は見向きもしない・・・というシーンを撮りたいのになかなか桜が咲かない! 桜前線はとっくに茨城を北上しているのに、その桜は実はソメイヨシノではなかったのだ。 毎日のように咲かないか、咲かないか、と固いつぼみを見上げるスタッフ。 結局撮影は2回も延期することに。このまま桜は咲かないのか? そして桜はとうとう・・・。 あたたかい、でも風の強い日。やっと咲いた桜は、もう花びらが吹雪のように
風に舞っている。花見に酔う客、飛鳥山焼きを売る波山一家。晴れやかな中にも
悲しみが漂うシーンが、無事に撮影された。 撮影終了後、その日が最後の出演となった南さんに、スタッフから花束を送られた。 1ヶ月間まるを演じ切ったという達成感を感じさせる、晴れやかな笑顔だった。