|
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
人形たちに込められた思いやこだわり。
さまざまな、そのひとつひとつを川本氏自身が語ります。 |
 |
|
|
 |
|
|
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
■川本喜八郎のこだわり■
曹操の跡継ぎ。弟の曹植に跡目争いで、七歩歩く間に「兄弟」の詩を作れと命じたのは有名な話だが、
皇帝の位についた曹丕が小説を書いた、ということを知って、曹丕の文学サロンが三国志に出て来なかったのは大変残念な気がする。
呉質という人に送った手紙にも「父王の威光を借りて人から仰ぎ見られるのは四六時中肩が凝って仕方がありません」と書いている。
これを知っていたら、曹丕は少し違った顔になっていたかも知れないが・・・
|
 |
 |
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
曹丕(そうひ 197〜226)
字は子桓。曹操の次子。弟の曹植と熾烈な後継者争いを経て、父の死後魏を建国、初代皇帝文帝と呼ばれる。
九品官人法を制定し、六朝貴族制度の基礎を築き、その著『典論』は文学評論の魁となった。
|
|
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
| ■川本喜八郎のこだわり■ |
 |
 |
 |
 |
 |
曹丕の弟。只の憂愁の貴公子と言えない、溢れるばかりの教養を身につけていたば かりでなく、
李白や杜甫が現れる前の中国の詩人といえば、まず曹植があげられるような大詩人なのである。
そういう角度から曹丕、曹植を眺めると、三国という時代が中国の歴史の中で特筆すべき時代に見えてくる。
曹丕と比べ、曹植は鋭すぎて、つきあうのには疲れるかも知れない。
 |
 |
 |
 |
 |
 |
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
曹植(そうしょく 192〜232)
字は子建。陳思王。才気煥発で父曹操に寵愛された。父の死後は酷薄な兄曹丕から迫害され不遇なうちに生涯を終えたが、『洛神の賦』
などの詩文により、父兄を凌駕する天才詩人と評される。
|
 |
 |
 |
 |
 |
|
 |
 |
 |
|
 |
 |
 |
 |
|
 |
 |
|
 |
 |
|
■川本喜八郎のこだわり■
身の丈八尺という大男。曹操は「わしの樊カイじゃ」といって許チョを大事にした。樊カイはもちろん、漢の高祖・劉邦に仕える豪傑。
許チョはとにかくメチャクチャ強い。曹操の武将は思慮のある豪傑が多いが、許チョはどちらかといえば蛮勇のほうで、
劉備の張飛のように、憎めない愛嬌が感じられる。
 |
 |
|
 |
 |
|
 |
 |
 |
 |
許チョ(きょちょ ?〜?)
字は仲康。曹操が山東に根拠地を固めんとする頃、配下の豪傑・典イ(てんい)と互角に戦った勇を認められ、曹操の親衛隊長となる。
のち曹操が西涼を攻めた時、馬超と壮絶な一騎打ちを演じ、敗走する曹操をよく守った。
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
|
 |
 |
|
 |
 |
 |
 |
 |
■川本喜八郎のこだわり■ |
 |
 |
 |
NHK人形劇三国志では、曹操に仕える文官の長老荀イクは殆ど出て来なかった。
そのかわり、程イクはいつも曹操にはりついて献策をしていた。大体はネガティブな献策で、憎まれ役のようだったが。
赤壁の戦いの船の上で、投降を装う黄蓋の舟を「あれは敵の計略だ、約束通り兵粮を積んでいるなら、船脚はもっと遅い筈だ」
と看破する程イクが冴えていてとても好きだ。
 |
 |
 |
 |
 |
 |
|
 |
|
 |
 |
 |
 |
程イク(ていいく 141〜220)
字は仲徳。曹操の留守中、呂布の急襲を持ち堪え頭角をあらわす。早くに劉備の危険性を察知し、度々除くように進言。
赤壁では黄蓋の偽投降を看破、華容道では関羽に情を請い、曹操の窮地を救った。 |
 |
 |
 |
 |
 |
|
 |
 |
 |
|
 |