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作品を通じて表現してきた川本喜八郎、独自の世界観を
制作エピソードを交えながら紹介していきます。
放送期間 1982年10月2日〜1984年3月24日放送(NHK総合)
人形美術 川本喜八郎
原作:『三国志演義』立間祥介訳
脚本 小川英、田波靖男、四十物光男
 
諸葛亮孔明
  三国志に登場する名のある人物だけでも3000人位いると云われているが、NHK人形劇『三国志』では、 その中で名のある人物約200人を作った。
文楽では、カシラにそれぞれ若男、源太、文七などと名前が付いていて、 役柄に合わせて使うカシラが決まっている。つまり、非常に高度な典型化が出来ている。 三国志では、その典型化をさらに個のレベルまで進ませて、玄徳は玄徳のために生まれてきた、 周瑜は周瑜のために生まれてきた、というふうに、彼等が生まれてくるのをお手伝いする、という作業を続けた。 三国志漬けの毎日で、苦しさも楽しかった。孔明のカシラはなかなか生まれてくれなくて、出来上がってみると、 「私は違うよ」とのたまい、4度作り直して、くたくたに疲れ果てた夜中に、やっと「私が孔明だ」と名乗りをあげてくれた。 乱世の群雄たちも、つぎつぎに生まれてきたが、今となっては、個々にどんな状態で生まれてきたのか、 思い出すのも難しい。

NHK人形劇『三国志』が画期的だったのは、それまでのテレビ人形劇が「蹴込み」という 人形の操演者が隠れる衝立のようなものを前に置いて、セットはその向こう側に作り、 カメラは蹴込みのこちら側からだけ撮るという、言ってみれば舞台中継のようなスタイル であったのに対して、『三国志』は「蹴込み」を取り払い、カメラはあらゆる方向から演技を狙うといった、 映画的な手法を採ったことである。これはリモートコントロールの小さいカメラが出来た、 という技術の進歩もあったのだが、とにかくこれによって「三国志」は今までにないダイナミックな 画面を作ることに成功し、人形の演技も、ドラマとして格段の進歩をもたらした。 このアイディアはディレクターの佐藤和哉さんによるもので、この手法に合う人形ということで、 僕の人形が採用になった。
『赤壁の戦い』の場面は、多分歴史に残るものでは無いだろうか。スタジオ一杯にプールを作り、 その上に船を浮かべ---浮かべ、といっても、その上に人形がいれば、 人形操演者はその船の下にいなければならないので、船のあるところにはシマを作って、 操演者が人形を支えられるようにして、その周りを船で囲む、といったほうがいいのか、 そしてその船の上で5体の人形が芝居をするとすると、下では5人の操演者が文字通り 犇めき合って演技をしている・・・という凄まじい収録になっていた。その上、 その船の帆柱は炎をあげて燃え落ちるのである。操演者は、黒子に水をかぶって人形を操演していた。 今のようにすぐCGを使わなかったために全てが緊張の連続で、終った時には一同拍手で祝ったものである。 幸い人形には怪我はなかった。

三国志も後半になると馴染みになった英雄豪傑が、つぎつぎに死ぬ場面が多くなり、悲劇的な様相を帯びてくる。
立間祥介先生(三国志演義の翻訳者でもある)は、「英雄が死ぬところがドラマなんですよ」とおっしゃった。 そうには違いないが、馴染みの英雄が一人また一人と舞台から去っていくのは本当に寂しく悲しい。
荊州の護りについた関羽は、曹仁のわなにかかって出陣、城をあけてしまう。魏と呉のかけひきに翻弄された真っ正直な関羽は、 結果的に孔明の作戦に背いたことになるのだ。このあたり神医華佗が関羽の傷の手当てをしたり、麦城の雪の中での関羽の死、 曹操の死など名場面が続く。麦城の雪の積もる階段を、降伏のために降りていく関羽の、雪をふみしめるキュッキュッという音が忘れられない。
曹操の死ぬところは、何時も赤の衣裳を着ていた曹操に、死を予感させる黒ずんだ赤の衣裳を着せ、目の周りに蒼いクマをつけ、死相を表した。
そして張飛の死、白帝城での玄徳の死。このとき、土砂降りの雨の中で、孔明が声をあげて泣くシーンは名場面だったが、ディレクターは、 「ちょっと水がかかるかも知れません」といっていたのに、出演を終えて帰ってきた孔明はずぶ濡れで、すんでのところでカシラが溶けるところだった。 係りの人が懸命にドライヤーで乾かしたので事無きを得たが・・・。
五丈原の孔明の死は余りにも有名だが、その後、死せる孔明生ける仲達を走らす、のところで、ディレクターが孔明の目をつむるように言っているのに、 孔明をつかっている南波さんは、「孔明は目をつむったりしないわ!」と頑強につむることを拒んで、仲達がひいてから、やっと目をつむる、 という演技をして、素晴らしい感動を残した。